深部感覚 (固有感覚) の役割
前回のエントリーでは体性感覚のことについて少しお話しましたが、今日はその中の
深部感覚 (固有感覚) についてもうすこし掘り下げて、この感覚がどのような働きをしているのか、そして、もしこの感覚がなかったら、私たちはどうなるのかを少しお話したいと思います。
前回もお話しましたが、深部感覚は、皮膚や粘膜の表面ではなく、それより深部に存在する
筋、筋膜、腱、関節、骨膜などに点在している感覚受容器 (センサーのようなもの) によって感じ取られる感覚で、
”固有感覚”とも呼ばれています。 深部感覚は、
位置覚、運動覚、重量覚に分けられ、人はこれらの感覚によって、
眼を閉じていても手の位置や曲がり具合、その動きを感じることができます。
位置覚
手足や身体の各部の位置関係がわかる感覚。
自分の身体と外界との境界線を感知し、また自分の身体と言う存在をリアルに感じる上で基礎となる感覚といえるでしょう。
運動覚
関節運動の方向を感じ取る感覚。
この感覚があることで、立って、歩いて、走ることができます。 この感覚がないと運動の状態がわからないので、関節の稼動範囲を超えていたとしても、それに気づかず怪我をする恐れがあります。 つまり、自分の外部または内部の情報を知る上で動くということの基礎となる感覚といえるでしょう。
重量覚
物体を持ってその重さ(重力)がわかる感覚。 重さの違いを感じ取り、必要に応じた筋力をつかって身体を安定させる感覚。
人が重力下で生きる上で、重力の大きさを知る基礎となる感覚といえるでしょう。
深部感覚は五感に続く
”六つ目の感覚”とも呼ばれもっとも身近な感覚のひとつでありながら、その性質上、当たり前すぎて、私たちの意識にほぼ上らない感覚です。
言い換えれば深部感覚は”無意識”の感覚ともいえます。 それでは、その無意識の感覚を失ってしまうとどうなるのでしょうか?
もし深部感覚がなかったとしたら、運動に際しては視覚と触覚を頼りにする他ないでしょう。 眼で見て自分の姿を映し出し、手で触って自分の存在を確かめる。 自分の中身を知る術はなくなります。 更にこの視覚と触覚による確認ができない場合はどうなるでしょうか? 自分と空間を区別することができなくなっていきます。
自分は空間の中に溶け込んで、自分と空間の境目がない。 つまり、どこからどこまでが自分なのかわからない状態。 それは空間の中に自分の意識だけが存在し、自分と言う実体がなくなってしまうことに近い状態です。
世の中はあらゆる分野でオートメーション化が進み、身体を使うことが少なくなり、現代人には内部の受容器に対する刺激が減少しています。 そのため極端に深部感覚が鈍くなる傾向にあります。 それは、自分の身体を頼りにしなくても不自由なく生活できる環境に人類が発展したことが影響しているのかも知れません。 けれどもその一方で、自分の中の自分を見失うことに繋がっているようにも思えます。
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